2011年1月8日土曜日

たこ

エッフェル塔が正面から拝めるのがお得感のある、シャイヨー劇場théâtre de Chaillotで、フィリップ・ドゥクフレPhilippe DecoufléのOctopusを鑑賞。

Philippe Decouflé Octopus
Théâtre de Chaillot
これまでに観た彼の作品は、あまり頭を使わずに観られるので(頭でっかちなコンテンポラリーダンスが多い中)、結構好きだったのだけれど、今回の新作はなんだか、疲れた。いつものように、ビデオや特殊効果をふんだんに使った演出だったのだけど、それが多すぎて疲れた。
たとえば、暗闇で光る収縮性のある太いゴムを身体に巻きつけたり、両手両足にひっかけて動いたりする。丸テーブルの上にカメラが吊るされていて、その下(つまりテーブルの上)で踊るダンサーたちの映像が舞台後方のスクリーンに映し出されて、それが万華鏡のように変化したりする。
初めのうちは、わ~目に楽しいな、あぁドゥクフレ(の映像演出)だ、なんて思えるのだけど、あまりにそれが続くと、こちらは実際に何を観ているんだかわからなくなって(きっとこれが好きな人もいるんだろうし、議論の余地ありなんだけど)、目が完全に迷子状態。踊る身体を観ているのか、材料として使われた身体が加工された映像を観ているのか、何かに騙されている気分。

それで気分を害した私は、「ダンスは身体勝負なのに、これはずるいじゃん」と思い始める。一度すねたらなかなか機嫌が直らないのは私の悪いところで、そのまま公演は終わってしまった。でも、あくまでも個人的な意見として、ダンスの公演は、あくまでも生身のからだで勝負して欲しいところ。映像や特殊効果を否定するわけではないし、それにもまず踊る身体ありきなのはわかっているけれども。だってこの作品を観ている間中、「テクノロジーはすごいな、パソコンでこんなこともできてしまうのか~」と何度思ったかしれない。大バッハの息子が、バロック時代に多く使われた装飾音について、「装飾音は、ほどほどに」と言っているけれど、ほんと、ほどほどにしてくれぃという感じ。ダンスを飾るのはいいけど、飾るためにダンスするようじゃ、本末転倒。(きっとそれを評価する人もいるんだろうと思うけど。)

終演後に、知り合いの10歳の女の子と出くわす。「どうだった?」と聞いたら、「よかった!特に、高いヒールを履いてダンサーたちがコツコツ歩くところが好き」と言う。確かに、私もその場面は好きだった。何人ものダンサーが、同じ格好をして、高いヒールの靴を履いて(写真参照↑)、歩調を合わせて舞台上を行ったり来たりするだけの場面。彼女みたいに、もうちょっと素直に舞台を観たいと思ったのだった。

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